2021
「きこえなかったあの日」
ドキュメンタリー/116分/日本語/日本語字幕・英語字幕/2021年
東日本大震災直後の宮城を訪れた今村彩子監督が抱いたのは「耳がきこえない人たちが
置かれている状況をもっと知って欲しい」という痛切な思いだった。
あれから10年―――。
手話言語条例の制定が進み、知事の会見に手話通訳がついたり、一部の市町村では役所や
公共施設に手話通訳が配置されたりするようになった。
日本各地で起こった様々な災害現場でも、手話で会話ができる福祉避難所や、
絵や文字による情報保障、そして、ろう・難聴者たちによる災害ボランティアなど、
これまで見られなかった新しい動きが生まれていた。
2013年に『架け橋 きこえなかった3.11』を発表した今村監督は、現在も宮城に通い、
熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルスの流行といった困難の渦中にいる
きこえない人たちの姿を記録し続けている。
みんなが安心して暮らせるその日まで―――
今村監督がみつめた、耳のきこえない人たちと災害、その10年の記録。
令和3年文化庁映画賞 文化記録映画部門優秀賞
『きこえなかったあの日』公式サイト
http://studioaya-movie.com/anohi
『きこえなかったあの日』facebook
2020
「友達やめた。」
ドキュメンタリー/84分/日本語/日本語字幕・英語字幕/2020年
あなたの常識は、わたしの非常識。
わたしの普通に、あなたはドン引き。
空気を読みすぎて疲れてしまい、人と器用につき合うことができない、
アスペルガー症候群(アスペ)の、まあちゃん。
理解があるような顔で、内心悶々としたものをかかえる、映画監督のわたし。
些細なことで、ふたりの仲がギクシャクするたび、これって、彼女がアスペだから?
それとも、わたし自身の問題なの? わかり合おうとしなくちゃ…
いい人でいなくちゃ…ああ、でも!
まあちゃんと友達でいるために、わたしは自分たちに向けてカメラを回しはじめた…
はずが、たどりついた答えは、友達やめた?
コミュニケーションの壁に苦しむ自身の姿を、エイヤ!と晒した『Start Line』から4年、
生まれつき耳のきこえない映画監督 今村彩子が、新たな葛藤と向き合う。
ヒリヒリして、イラッときて・・・
でも何だかほっこりする、まあちゃんとわたし、ふたりの“違い”から生まれたものがたり。
『友達やめた。』公式サイト
http://studioaya-movie.com/tomoyame/
『友達やめた。』facebook
2018
「HIV/エイズ予防啓発動画」
HIV陽性者の中には、ろう者もいます。
20代の時にHIV感染が分かった聴覚障害のあるAさんは、まさか自分がHIVに感染するとは思っていなかったとのこと。「自殺を考えたこともある」と言います。
HIV感染の予防と治療には情報が必要です。
そこで、聞こえる人、聞こえない人どちらにも伝わるよう手話と字幕、音声付きのHIV/エイズ予防動画を12月1日の世界エイズデーに向けて制作しました。
詳しくはこちら
https://studioaya-movie.wixsite.com/11kimi/hivaidsyoboumovie
「11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~」
ドキュメンタリー/76分/日本手話・日本語字幕・音声日本語/2018年
ろうLGBTのそれぞれの生い立ちや仕事、家族についての
インタビューとLGBTの知識編の二部構成
【第一部】それぞれの“生き方”と“好き”
加納 晶さん/菊川 れんさん/辻 海里さん
辻 斗真さん/山崎 悦子さん
【第二部】もっと知ろう
ナビゲーター/前田 健成さん
・4つの性
(からだの性・こころの性・好きになる性・見た目の性)
・LGBTの手話表現
・傷つける言葉・アウティングについて
・カミングアウトについて
〈11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~HP〉
https://studioaya-movie.wixsite.com/11kimi
2016
「Start Line(スタートライン)」
ドキュメンタリー/112分/日本語・字幕(日本語・英語)/2016年
生まれつき耳の聞こえない映画監督が、自転車で沖縄→北海道日本縦断の旅へ。
コミュニケーションの壁にヘコみ、涙しながらも走り続ける57日間の記録。
伴走カメラマン哲さんの叱咤激励、聴力を失った旅人ウィルとの出会い…
ニッポン中のためらう人に観てほしい、一篇の勇気のおすそわけ。
2017年 韓国・全州国際映画祭 招待作品
2017年 ドイツ・フランクフルト 日本映画専門映画祭 <ニッポンコネクション> 招待作品
〈スタートラインHP〉
http://studioaya-movie.com/startline/
2013
「架け橋 きこえなかった3.11」
ドキュメンタリー/74分/日本語・字幕(日本語・英語)/2013年
津波警報が聞こえなかった――― 命を守る情報に格差があってはならない。
東日本大震災の11日後に宮城を訪れ、2年4か月かけて取材。
一般のテレビや新聞で報道されなかった聞こえない人たちの現状を伝えるドキュメント。
2014年 ドイツ・フランクフルト 日本映画専門映画祭 <ニッポンコネクション>
ニッポンビジョン部門 観客賞3位
2013年 イタリア・ローマ CINEDEAF映画祭 招待作品
〈架け橋 きこえなかった3.11HP〉
http://studioaya-movie.com/kakehashi/
2012
「音のない3.11 ~被災地にろう者もいた~」
ドキュメンタリー/23分/日本語・字幕(日本語・英語・韓国語・ポルトガル語)/
2012年
菊地信子さん(宮城県岩沼市在住)は、東日本大震災が起きた時、地元の人に津波が来るから逃げるように言われ、避難した。その後、津波が来て家が流された。
もし、地元の人が信子さんに伝えなかったら、信子さん夫婦は津波にのまれたかもしれない。
避難所から仮設住宅に移った信子さんの1年を取材し、ろう者がぶつかる問題を取り上げた。
「五目ごはん ~私たちの生きる道~」
ドキュメンタリー/82分/日本語・日本語字幕/2012年
「ユニバーシティライフ ~ろう・難聴学生の素顔~」(2006)に出演している5人の卒業生のその後を追ったドキュメンタリー。仕事、結婚、育児など、それぞれの歩みは様々だが、大学時代に学んだことや出会い、経験が今につながっている。「ユニバーシティライフ」のダイジェスト版も収録。
DVD販売中 →販売ページはこちら
「手話で語る3.11 ~宮城 被災ろう者の体験談~」
ドキュメンタリー/82分/日本語・日本語字幕/2012年
東日本大震災では、宮城県立聴覚支援学校も被害を受けた。
大震災が起きた時の先生たちは、子どもたちは、同窓会の会長は----
彼らに地震直後から1年間の状況を手話で語ってもらった。
2011
「架け橋 第4弾 ~前へ進む力~」
ドキュメンタリー/18分/日本語・日本語字幕/2011年
年の瀬も迫った12月24日に宮城を訪れる。
宮城県立聴覚支援学校の中学部の生徒と遠藤良博先生(ろう者)を取材する。
また、11月に夫が入院したと聞き、一人暮らしとなってしまった菊地さんを訪ねる。
加藤さんの仮設住宅にも訪れ、近所の人に話を聞く。
「架け橋 第3弾 ~地域の絆~」
ドキュメンタリー/20分/日本語・日本語字幕/2011年
避難所で生活している菊地さんから仮設住宅に変わったと連絡を受け、8月に宮城を訪れる。
菊地さんは笑顔で接してくれたが、津波で家をなくした心の傷はまだ癒えていない。
斉さん夫婦は、全国からの支援で理容店を再開。
教育を受けられず、文字の読み書きが苦手な高齢ろう者の加藤さんにも会う。
近所づきあいがないと、ろう高齢者の孤独死の可能性もある。高齢者や障害のある人から玄関の鍵を預かり、安全を守っているという全国的にも珍しい取り組みをしている名古屋市営住宅森の里荘の自治会を取材する。
「架け橋 第2弾 ~東日本大震災 一ヶ月の被災ろう者~」
ドキュメンタリー/26分/日本語・日本語字幕/2011年
震災1ヶ月後に宮城を訪れ、宮城県ろうあ協会の支援活動、避難所で生活している菊地さんを訪れる。福島の原発で不安を感じる地元のろう者、福島県聴覚障害者協会の会長にもインタビューする。
福島での取材中に震度6弱の余震に遭遇し、私自身も津波の警報が聞こえないことの恐怖を味わう。
日本障害フォーラムの藤井克徳議長が陸前高田市、宮古市の市役所、大槌町の役場を訪れ、
市長や副町長と面談し、復興計画を立てる時に障害のある人々のことを考慮して欲しいと伝える。
「架け橋 第1弾 ~東日本大震災 宮城の被災ろう者は今~」
ドキュメンタリー/29分/日本語・日本語字幕/2011年
東日本大震災が起き、毎日のようにテレビや新聞で被災地のニュースが流れた。
しかし、ろう者に関する情報はほとんどない。
地震から11日後に被災地へ向かい、宮城県ろうあ協会の小泉会長をはじめ、避難所で生活している高齢ろう者の菊地さん夫婦、理容店を経営している斉さん夫婦を取材した。
斉さん夫婦は放送が聞こえず、避難所へ避難することを知らなかった。
「珈琲とエンピツ」
ドキュメンタリー/29分/日本語・日本語字幕/2011年
「アロハ!サーフ店長物語」(2010)で太田辰郎さんのドキュメンタリーを制作したが、
私の伝えたいことが伝えきれなかったこと、そして、劇場でも公開し、
多くの人々に太田さんの生き方やコミュニケーションを伝えたいという気持ちが強くなった。
取材を続け、長編映画としてまとめた。
〈珈琲とエンピツ HP〉
2010
「CM「伝えたい」トキワ鉛筆」
CM/120秒/日本語字幕/2010年
第48回ギャラクシー賞受賞/社団法人全日本シーエム放送連盟 2010 50th ACC CMフェスティバル「北陸・中部地域テレビファイナリスト」受賞/日本民放連盟賞「CM部門」優秀賞受賞
聞こえる人にとっては単なる筆記用具である鉛筆。
しかし、サーフィンショップを経営している太田辰郎さん(ろう者)にとっては、
筆跡や筆圧に個性や感情が表われやすいコミュニケーションの道具である。
このCMは「物事を伝える表現方法は人それぞれ」という当たり前だが忘れがちなことを伝えようと今村彩子のドキュメンタリー映画「珈琲とエンピツ」で撮影した映像を使用している。
通常、ナレーションで表現される情景描写等を今村本人の「鉛筆で書いた文字」で表現。
ちょっと古くさいと思われがちな鉛筆の違った側面を表現することで、改めて鉛筆の暖かみや懐かしさを感じるCMとなった。
「アロハ!サーフ店長物語」
ドキュメンタリー/25分/日本語・日本語字幕/2010年
静岡県湖西市でサーフ&ハワイアン雑貨を経営している太田辰郎さん。
17歳からの夢を実現させるために20年間勤務した会社を辞め、お店を独立。
しかし、商売は素人のため、経営の仕方が分からない。
太田さんは、持ち前の明るさと前向きな姿勢で様々な壁を乗り越えていく。
太田さんはお客さんとどのように会話をするのだろうと疑問に思っていた私は、
太田さんとお客さんのやりとりを見て驚きと新鮮さを感じた。
それは、まるで英語の苦手な日本人と日本語が分からないアメリカ人が
お互いに伝えようとコミュニケーションをとっているようだった。
聞こえる人が聞こえない人に分かるように教えているというより、
人として対等にコミュニケーションをとっていると感じた。そして、この作品が生まれた。
「交通事故裁判・~手話ができなくなったことを言語障害として認めて欲しい~」
ドキュメンタリー/25分/日本語・日本語字幕/2010年
名古屋に住む大矢貴美江さん(ろう者)は、2004年7月に交通事故で手に怪我を負い、
手話でコミュニケーションを図ることが困難になった。
もし、聴者が声で話すことが困難になったら、言語障害として、賠償金が支払われる。
それと同じようにろう者が手話で話すことが困難になったら、言語障害にあたる。
しかし、保険会社は、手話ができなくなったことを言語障害として認めなかった。
ろう者にとって手話は言語である。手話ができなくなったことを言語障害として認めて欲しいと
大矢さんは、裁判を起こした。
2009年11月に最終判決が下り、勝訴はしたが、手話障害の認定基準がないなど課題は残る。
大矢さん夫婦をはじめ、言語学者や弁護士のインタビューも収録。
2009
「基雄さんと地元の人たち」
ドキュメンタリー/16分/日本語・日本語字幕/2009年
愛知県豊橋市に住む浅倉基雄さん(66歳)は、豊橋聾学校の卒業生であり、私の大先輩でもある。
基雄さんは、インターネットのメールやウェブカメラチャットなどIT機器を活用して
友達と会話を楽しんでいる。
しかし、手話サークルに顔を出したり、ピアカウンセラーとして、ろう高齢者を支えたりと
顔の見える関係と活動も大切にしており、地元の人から「基雄さん」と親しまれている。
ろう者に対する理解や手話が広がり、字幕付のテレビ番組が増え、生活が向上したのは、
基雄さんたち、大先輩が社会に声をあげて活動をしてきたお陰である。
先輩に感謝し、今の私たちができることをして、よりよい社会にしていきたい――――
その想いを胸に基雄さんと地元の人たちとの絆を描いたドキュメンタリーを制作した。
「デフファミリー ~日本・カナダ・韓国の家族物語~」
ドキュメンタリー/65分/日本語・日本語字幕/2009年
日本、カナダ、韓国
言葉は違うけれど 家族の絆は同じ
文化も違うけれど 親の子どもに対する愛は同じ
日本とカナダ編はStudio AYAが、
韓国編は、映像制作グループDeaf Mediaが制作を担当してこの映画が生まれた。
あったかい家族物語をどうぞ
* デフファミリー・・・家族全員がろうの家族
「デフスクールとぶどうの木 ~NPO法人デフNet.かごしま~」
ドキュメンタリー/15分/日本語・日本語字幕/2009年
鹿児島で、ろうの子どもに勉強を教える塾を立ち上げた澤田利江さん。
最初は、周囲の人から「ろう者が指導するの?できるの?」と不安に思われ、
なかなか塾生が集まらなかった。
しかし、1対1で子ども達に手話で分かりやすく勉強を教えた。
すると、子ども達が成績で結果を出し、保護者からも信頼されるようになり、
デフスクールの仲間が増えていった。
ろうと他の障害をもつ子どものことも考えるようになった澤田さんは
2007年には、ろう重複障害者の作業所「ぶどうの木」を設立。
私は再度、鹿児島に訪れ、澤田さんの作業所設立への思いを取材した。
元気一杯の子ども達が登場し、いつの間にか自分も元気になるドキュメンタリーである。
「只今、育児奮闘中! ~デフファミリーの日常~」
ドキュメンタリー/13分/日本語・日本語字幕/2009年
家族全員がろうのデフファミリーは、一体どんな日常生活を過ごしているのだろう。
聞こえる家族で育った私は長年その疑問を抱いていた。
そんな時、愛知県岡崎市に住んでいる岡田家に出会った。
子どもが大好きで家族を大切にするお父さん、少しおっちょこちょいなお母さん、
食いしん坊でやんちゃな赤ちゃん、元気なお姉ちゃん達の日常を追った。
子どもが言葉を覚えていく様子から、夕飯の様子、買い物へ行く様子を取材した。
家族での買い物や子どもの誕生会は、どの家族も経験したことであり、
身近に感じるあったかい作品となった。
「菜々子13歳 中学生日記に出演」
ドキュメンタリー/18分/日本語・日本語字幕/2009年
菜々子さんは、ろう学校に通う中学生で将来の夢は女優。
NHK中学生日記「少年は天の音を聴く」(2009.9月放送)のヒロインに選ばれた。
昭和47年から続いている中学生日記で、ろう者が選ばれるのは初めてである。
スタッフは筆談や身振り、簡単な手話で菜々子さんとコミュニケーションを図っている。
共演した役者や母親のインタビューやNGシーンも収録。
菜々子さんとディレクターを中心にドラマ制作の現場を取材した。
同世代の中学生に見て欲しいドキュメンタリー。
2008
「サラリーマンライフ ~ろう者と聴者の共に働く職場づくり~」(文部科学省選定作品)
ドキュメンタリー/58分/日本語・日本語字幕/2008年(完売しました)
ろう・難聴者が働いている会社で、聴者と共に働くために
どのような取り組みをしているのかを取材したドキュメンタリー。
「絵美さんの韓国留学記」
ドキュメンタリー/18分/日本語・日本語字幕/2008年
韓国のナザレ大学院で学んでいる桑原絵美さん(新潟出身)の留学生活を描いたドキュメンタリー。
留学の動機、現在の生き生きとした活動を取材。
ナザレ大学の障害学生のためのサポートや韓国文化、簡単な韓国手話も紹介している。
「ひとりひとりを大切に ~特別養護老人ホーム淡路ふくろうの郷~」
ドキュメンタリー/14分/日本語・日本語字幕/2008年
兵庫県淡路島にある特別養護老人ホーム「淡路ふくろうの郷」は、ろう高齢者が暮らしている。
施設長の大矢暹さんは、「一人ひとりを大切に」という真摯な思いで、
ろう高齢者が豊かに暮らすことができるように活動している。
老人ホームの取材で、聞こえないために精神的に障害があると誤解され、
17歳から70歳まで53年間も精神病院に隔離されたろうのおじいさんと出会った。
そのおじいさんと大矢さんのお話を聞く中で「人間の尊厳」を学び、
この酷い過去が実際にあったことを伝えていくことが大切なのだと肌身で感じた。
2006
「ユニバーシティライフ ~ろう・難聴学生の素顔~」(文部科学省選定作品)
ドキュメンタリー/46分/日本語・日本語字幕/2006年(完売しました)
バリアフリーが進み、スロープやエレベーターなど設備を整える大学が増えている一方で
ろう・難聴学生のための手話通訳やノートテイクに理解を示す大学は少ない。
講義における情報保障の理解を広め、ろう・難聴学生の充実したキャンパスライフを考えるドキュメンタリー。
2005
「モザイク ~多文化社会に生きる人々~」
ドキュメンタリー/38分/日本語・日本語字幕/2005年
カナダ・マニトバ州を訪れる機会があり、ろうの先住民アーティストやマニトバろう学校の教育、デフファミリーや聞こえる両親とろうの子どもの家族を取材し、三部構成でまとめた作品。
第一部/カナダのファーストネーションズ
ろうの先住民であり、アーティストとして活躍しているチャドは、子どもの時、先住民から絵を教わった。ろうの先住民の子ども達に文化を継承する機会を作り、絵を教えているチャドの活動を通して先住民の歩んできた歴史も紹介している。
第二部/ろう者の言葉
カナダのマニトバろう学校では、先生の6割が聴者、4割がろう・難聴者で、バイリンガル・バイカルチュラル教育を実践している。この教育にたどり着いた経過を取材した。
第三部/家族の絆
家族全員がろうのデフファミリーや両親が聴者、子どもがろうの家族、両親がろう者、子どもが聴児の家族が登場する。それぞれの家族のコミュニケーションを描いた。
協力:愛知県立豊橋聾学校
2004
「あそびにおいで ~豊橋ろう学校の子ども達~」
ドキュメンタリー/16分/日本語・日本語字幕/2004年
現在、小中学校で福祉を学ぶ機会が増えている。
「ろう学校を紹介するビデオがあったらいいな」と小中学校で手話を教えている講師からのリクエストに応えて愛知県立豊橋ろう学校の紹介ビデオを制作した。
ろう学校の子ども達に自分の学部を紹介してもらい、同校を取り上げた「めっちゃはじけてる!豊ろうっ子」(2001)とはまた違った味わいのある作品となった。
協力:愛知県立豊橋聾学校
2003
「つくしの現在 ~ろう重複障害者のデイサービス~」
ドキュメンタリー/18分/日本語・日本語字幕/2003年
聴覚・ろう重複センター特定非営利活動法人つくしの紹介ビデオ。
10人の仲間たちは、名古屋ろう学校の卒業生で、同窓会のような毎日を過ごしている。
個性豊かな仲間たちと陽気な職員の笑顔が心に残る作品である。
「響いて ~名古屋WZ公演の舞台裏~」
ドキュメンタリー/16分/日本語・日本語字幕/2003年
2002年の夏、名古屋でアメリカのダンスグループ、ワイルド・ザッパーズ(WZ)の公演が開かれた。大音響の中で踊る彼らはろう者である。
その公演を成功させるために東奔西走した平野千博さんを密着取材。
平野さんの息子の貴大くんはダウン症である。
どのように貴大くんを育てればいいのか悩んでいた時にWZの公演を見て励まされた平野さんは、
もっと多くの人に見てもらいたいと名古屋公演を実現させた。
関連図書:「世界中の人たちに愛されて ~ろう者ママちひろとダウン症たかひろ~」
著者:平野千博 文芸社ビジュアルアート出版(今村彩子の寄稿文も掲載)
2002
「ふるさとでひびきあって 瀬木直貴監督作品「いずれの森か青き海」のメイキングビデオ」
メイキングビデオ/18分/日本語・日本語字幕/2002年
大学4年の夏、私は就職活動で受けた会社に全て落ち、気持ちも落ち込んでいた。
そんな時、知人が瀬木直貴監督を紹介してくれた。
「四日市を舞台にした映画を作るので、そのメイキングビデオを作ってみないか」と瀬木監督に言われ、いい経験になる!と二つ返事で引き受け、19日間、大学を自主休講してビデオカメラを片手に映画制作の現場を飛びまわって制作した作品。
シネマスコーレ(名古屋)で本編の前にメイキングビデオが上映された。これが私の劇場デビュー作となる。
「こころのつぼみ ~エンジェルズの軌跡~」
ドキュメンタリー/10分/日本語・日本語字幕/2002年
名古屋テレビ主催 第4回名古屋ビデオコンテスト優秀賞受賞
知未さん(ろう者)が手話で歌うバンドグループ「ANGELS(エンジェルズ)」の活動を取材。
友達の結婚式で手話歌を贈りたいという気持ちから、ANGELSが誕生した。
メンバーは知未さん、ベースの難聴者と4名の聴者の6名。
メンバーには手話を知らない人もいるため、
話し合いになるとつい口だけになってしまう時がある。
知未さんは何を話しているのかが分からず、コミュニケーションの壁にぶつかるが、
一緒に歌いたいという気持ちがメンバーの気持ちをひとつにする。
2001
「めっちゃはじけてる!豊ろうっ子 /~愛知県立豊橋ろう学校の素顔~」
ドキュメンタリー/14分/日本語・日本語字幕/2001年
名古屋テレビ主催 第3回名古屋ビデオコンテスト優秀賞受賞
ろう学校は全国で107校しかなく、日常生活に触れる機会がほとんどない。
そのため、「別世界」と思われ、「暗い」「かわいそう」と偏ったイメージを持たれがちである。
しかし、実際はそうではない。聞こえる子ども達と同じように友達とケンカもすれば、恋愛もする。
授業中におしゃべりして先生に怒られたりもする。
ろうであること以外は、聞こえる子ども達と変わりはない。
ありのままのろう学校を見てもらいたいと思い、
尾崎雅輝くん(聴者)にレポーターを依頼し、一緒に取材に行った。
豊橋ろう学校の近くの高校出身の尾崎くんは、
ろう学校に友達がいて簡単な手話もできる。
しかし、取材する前までは、心のどこかで聞こえない子どもはかわいそうだと思っていた。
取材後、尾崎くんが言った。「かわいそうなのは偏見をもっていた自分の方だった」
私は自分を理解してもらえたようで嬉しかった。その時、気づいた。
偏見は「無知」から生じるのだと。
この作品は、地元の手話サークルや小中学校で上映され、様々な声が私の元に寄せられた。
「ろう者に対するイメージが変わった」
「ろう学校の生徒も普通学校の生徒と変わらない」
聴者は意識的に偏見・差別をするのではなく、ろう者と交流がないため、
偏った情報で判断してしまう。
それならば、映像の持つ魅力で、ろう者の活動、日常生活、考えていることを伝えていこう。
それを生涯の仕事にしたいという気持ちが強くなった。
私にとって初めての作品であり、ドキュメンタリーの道を歩む決め手となった作品でもある。
協力:愛知県立豊橋聾学校